火花
遅ればせながら話題作をkindleにて読了。
芸人の20代から30代のいわゆる下積み生活が非常にリアルに感じられる筆致には単純に脱帽。無論「僕」は又吉自身の投影であろうが、師匠である「神谷」は何となくメッセンジャーの黒田を被らせながら読んでいた。「真樹さん」を筆頭に人間交差点よろしく主人公達の人生に重なっては消えていく人物達。二人の真面目さや不器用さが切ないほど滑稽に描かれているこそ、解散ライブでの漫才は涙無くしては読み進めることができないものになる。思っていることと逆のことを全力で言うというネタは、常識を覆したいと願ってきた彼の方法論をストレートに体現しているだけでなく、謝罪や感謝といった自分の想いを素直に伝えることがきない「僕」が捻り出した、これ以上ないくらい不器用で不恰好な伝達方法でもある。また反対にすることでより伝わる事もあるのだ。「花火」は花を模した火なのか、火で作られた花なのか。捉え方ひとつで物事の本質は大きく変わる。それは、ネットニュースの見出しを流し読みしただけでは絶対に共有できないものだ。おそらく想像すら適わないであろう。
「神谷」が疾走後の話は多くの人と同じように蛇足に感じた。一般人となった「僕」と芸人であり続ける「神谷」との間に出来た距離を感じさせるエピソードも、一緒に出会いの地熱海に行って、一緒に素人お笑い大会のためのネタを作ったりとなんとなく丸く収まってしまう。我々には窺い知ることのできない「弟子」と「師匠」の関係なのだろうか。
少なくとも純文学と称して何も問題ない一作。「本屋大賞?」などと言っている人はまず一読してから言ってほしい。
ラブライブ! The School Idol Movie
映画の日、1100円なら良いかという感じで鑑賞。さすがにもう客席はまばら。
2ndシーズンで「この9人でなければμ'sじゃない」と活動終了を決めたはずが、「School Idolを盛り上げるため」になぜか海外でのライブへ。帰国するとすっかり有名人になっており、その責任と自らの想いの間で揺れる。School Idolを盛り上げつつ、活動終了を宣言するためにホームグラウンドのアキバで歩行者天国(?)でライブを敢行し、μ'sは伝説になりましたという結末(これ全部3月?)。
現実的にはあまりにも荒唐無稽な展開なのだが、そこはアイドルムービーということで3人ずつのミュージカルも含めてそれなりに楽しい時間を過ごすことができた。
やっぱり気になったのはコナンの声の人。年齢や台詞からすると未来の穂乃果の象徴なのだろうけど、キャラクターデザインや魅力的に感じられない劇中歌(歌詞はちょっと匂わせていた感じ)のイメージが一致しないので、異物感ばかりが気になってしまう。マイクはそのまま持っていて過去の自分に手渡すのだろうかと思ったけど、日本でも新しいの持ってるんだよね。冒頭の子供の頃のシーンみたいに「いつでも翔べるよ」というメッセージを伝えるのだけど、それを受けてほのかが「School Idolとしての最後のライブを企画する」という決断になぜ到達したのかという感じ。
以下箇条書き。
- 理事長にエアメールで海外でのライブ企画がきてたけど、一体誰から?
- 場所も演出も行ってから決めたのにあのクオリティ。滞在期間は?
- マイクの入った箱を持った影が十字架。
- アキバでの路上ライブ、Mステの対バン企画みたい。
- よく考えると物語全般的に金の臭いばかり。おいしいところはD通やH堂に入ってるのだろう。あ、理事長?
- 結局μ'sの最後のライブはいつどこでやったの?
- いろいろDVDでチェック案件せねば。
イニシエーション・ラブ
堤幸彦監督がイニシエーション・ラブを映像化するということで、どうせトンデモな出来になるんだろうと思いつつ、原作も特に目新しい小説だった訳でないし、でも未見で批判するのは嫌だし等とウジウジしながら劇場予告編を3−4回観たと思う。松田翔太が普通に辰也として演技している映像の最後に「あなたは既に騙されている」の文字とナレーション!ん?全然分からないぞ!まさかの双子でしたってトンデモ設定か?他人の空似?それともストーリーを映像用に改変してる?考えても考えても「これぞ!」という映像化にあたっての戦略が思いつかない。そして1日で安いしと、Zアイランドと迷った結果、こちらを鑑賞。
そしてSide-B(後編)が始まった瞬間に劇場を出てやろうかと思ったが、せめてツッコミポイントを探してやると思いつつ何とか最後まで鑑賞。ある意味で原作に忠実でした。でも最後に辰也が静岡まで行ってしまって、「タッくん」と呼ばれている夕樹と鉢合わせるんだよね。映画的な盛り上がりとより明確なオチが欲しかったのは分かるが、女性の強かさと男の浅はかさを対比していた原作の雰囲気がぶち壊されたような感を覚えた。アラン・スミシーとか洒落た映画豆知識披露している場合じゃないよ。
原作読んでない人にはトンデモ返しじゃなくて、ちゃんと痛快なドンデン返しになっているのか疑問。それにしても堤監督の作品と知って観に行っておいて、憤慨してしまうなんて当たり屋としてまだまだ修行が足りないです、はい。
以下箇条書き。
- 木村文乃さん可愛かったです。でも彼氏のフルネームを2回言うな!
- 照明やすだれ使った気持ちのすれ違いの演出とかわかりやすくて良かったです。
- ストーリーに合わせて曲が流れるんだけど、映像に合わせて見ると年代めちゃくちゃが気になる。「ラブストーリーは突然」にとか未来の曲ですから。
- 最初の秘密がどうちゃらのメッセージいらない。
- 最後のネタ明かしパートいらない。
- エンディングの昔のツールの説明いらない。
- 片岡鶴太郎と手塚理美による男女7人物語オマージュや木梨憲武による80年代オマージュいらない。
セッション
町山さんの2014年度2位の映画ということで、前々から楽しみにしていた本作をようやく鑑賞。
デミアン・チャゼル監督が脚本に携わったという「グランドピアノ 狙われた黒鍵」は以前に観ていて、あの脚本からアカデミー賞候補にまでなるなんて大した成長だなと思っていたのだが、あまり印象は変らなかった。どちらの映画もジャズとクラシカルとジャンルは違えど音楽を扱っているのに、その音楽へのこだわりや愛情が感じられないのだ。
グランドピアノと同じく常に緊張の中で演奏を強いられる。それも短いフレーズや反復練習ばかりでまともに曲を聴くことができるのはクライマックスのキャラバンだけだ。おそらくそこへ頂点を持ってくるために意図的にこのような展開にしたと思うのだが、全く盛り上がらない。ビッグバンドの演奏であんな独りよがりな長時間のドラムソロを披露して盛り上がるだろうか?人間性とは別に、音楽を通じて二人は別の次元に到達したというオチだと思うのだが、その媒体たる音楽に説得力がないので、エンディングにも「?」と思ってしまった。
あとフレッチャー教授があのような理不尽な振る舞いを行いながら、彼が職を維持できる、彼のバンドが良いプレイヤーを集められる理由に考えが及んでしまうのも、その音楽に説得力がないからだろう(というより前述のようにまともに音楽は聴けない)。こういったところに菊地成孔氏はまったをかけているのだろう。
細かな演出がしっかりしているのと高校時代にドラマーとしてしごかれたというのは本当のようなので、それなりには観れてしまうが、正直アカデミー賞にノミネートされるような映画には思えなかった。
それにしても日本語版タイトルの「セッション」はセンス無さ過ぎる。
以下箇条書き。
- 親父と仲が良過ぎて気持ち悪かった。
- 全く練習に参加しないでライブ当日?
- ドラムスが帰ったらその後の演奏はどうするつもりだった?
- キャラバンは他の人達も練習してた?
寄生獣 完結編
前編を観て山崎貴監督にしては原作の雰囲気を踏襲しているな(愛はないものの…)と思っていたが、後編でやっぱりやってくれたという感。
最大の問題はやはり放射性物質の問題であろう。映画で訴えたいテーマがおそらく無いであろう山崎貴氏が、放射能問題に憤慨しているかどうかは分からないが、このご時世を考えればここで放射能を持ってくるのは必然だと思う。ただ、それが搬入された瓦礫によるものというのはちょっと思慮が足りないのでは思うと同時に、ダイオキシンからの改変を思いついた時に小躍りしたであろう誰かの姿を想像するに悲しくなる。それこそ原発や放射能研究施設で良かったのではないか。ともに後藤のような傍若無人なテロリストにそのような施設が襲われたらという恐怖も匂わせることが出来る。
また「ぽい」演出も相変わらず散見される。
例えば大森南朋の娘が殺される場面。データの消去が目的ならなおさらパラサイト達は父親の帰りを待つであろう。しかも犯行後に放火してた?俺はこんな残酷な描写もしちゃうんだぜとほくそ笑んでいる誰かの顔が浮かんでしまう。
残酷といえば、浦上の快楽殺人をしている場面もそうである。被害者は刺されても大声を出したりしない上品な残酷な描写。あそこは作品のテーマにも関わるのだから、顔を背けたくなるほど凄惨な描写でなければならないだろう。
そして今回はいわゆる濡れ場にもその範疇を広げてくる。せっかく橋本愛ちゃんが頑張っているのに全然グッと来ないあの場面。片腕を失ってぎこちない新一の動きなどは良かったのになぜだろう?今回は後藤の脅威から逃れて安堵しているところでの行為だったと思うが、本当に必要だったかなと思ってしまった(一応守るべきものができてその後の戦闘に繋がるとは思うが)。
以下箇条書き。
- なぜ最初はまだ制御が完璧でない三木の状態で戦った?
- 大森南朋が通話してからじゃくて、微弱電波を探知しとけよ、警察。
- 國村隼、なぜ危険だと分かっている現場に新一ら一般人を一緒に連れて行く?
- SAT隊員、なぜ広川に演説やらせる?何後ろの自分の顔の映像?
- 何でミギーは後藤の名前を知っていた?
- どうして里美は新一の居場所がわかった?
- 幼稚園みたいなところって養護施設?
- エンディングのミギーが細胞の中にいるようなイメージ描写に腹立つ。
ラブホテル進化論
様々な偏見に遭いながら研究を続けてきたであろう事を考えると賛辞を送りたい。
どのような角度から対象に迫るかは研究者本人の趣味嗜好や興味に依存するところではあるが、ホテルの利用者(客)からの視点が不足しているように思えた。どのような基準でホテルや部屋を決定するのか、その変遷などを知りたいと思った。おそらくサービス提供側(経営者)に主導権があったこの業界も、その比重が利用者側に徐々に移ってきており、昨今の様々なサービスの革新に至っているのではないだろうか。最終章の未来を考える上でも重要な視点では無いか。
自動精算システムの登場が、対面を避けたいという利用者目線での発想ではなく、同時間帯に会計が集中することによるマンパワーの問題や正確に売上を把握し、従業員による横領を防ぐ経営者側のニーズによるものであった点はその典型であろう。
インターネットでの情報の提供などにも興味がある。おそらく風俗店などとはまた異なった形態が定着していて、今後館内システムと連動した予約なども可能になるのではないだろうか。海外での紹介のされ方にも言及されていたが、そのような日本人らしい効率の追求の結果が、彼らの心を惹きつける要因のひとつではないだろうか。
以下箇条書き。
- Kindle版では写真やイラストが不鮮明。
- 飲食サービスだけを調査しても面白そう。
- クリスマスのラブホテルはすごい人気よ。
マリファナも銃も馬鹿もOKな国 言霊USA
相変わらずの町山節を堪能。右vs左や陰謀論に取り付かれたアンチ体制の問題など日本と共通する問題も多いが、それが人種や宗教に絡んでいて規模や結末が桁違いなところがアメリカの面白いところだ。
Columbusingが「他人のものを見つけたと言い張ること」
マリファナも銃もバカもOKの国 言霊USA2015 (文春e-book)
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